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はじめての三国志

 

当サイトをご覧の方の中には、

 

 

まだ三国志についてほとんど知らないという方

 

 

もいらっしゃるかと思います。

 

 

そこで今回、「三国志ってどんな話なんだろう」

 

 

という方のためにおおまかに理解するためのまとめを作ってみました。

 

 

名づけて

 

 

「ざっくりわかる三国志part3」です。

 

 

劉備

 

 

さて、今回のお話は、魏・呉・蜀の三国の鼎立が成った後、

 

曹操、劉備が相次いで死に、漢王朝復興の夢を劉備から

 

 

受け継いだ諸葛亮孔明が、

 

 

諸葛孔明

 

 

 

劉備の息子、劉禅を盛りたてながら、

 

 

後漢を滅ぼし魏を建国した曹丕とその息子、曹叡、

 

 

司馬懿

 

 

そして最大のライバル司馬懿と、北伐を通して激しく戦い、

 

最後には五丈原で無念の最期を迎えるまでを描きます。

 

 

 

なお、このまとめは「三国志演義」(史実をもとに制作された小説版)に準拠します。

 

 

歴史上の事実とフィクションである「三国志演義」では細部にいろいろな

 

 

違いがあるのですが、まずは、ストーリーとして有名な

 

 

「三国志演義」の概要をざっくり知った上で

 

 

興味を持った部分から細かいところを攻めていくというのが

 

 

 

『三国志を知る』

 

 

良い方法ではないでしょうか?

 

 

前回をご覧になっていらっしゃらない方は、まずそちらからご覧頂く事をオススメします。

 

 

 

出師の表

 

 

前回のはじめての人のための『ざっくりとわかる三国志』(1)

 

 

それでは、

 

 

ざっくりと行ってみましょーう!!

 

 

ƒTƒ~ƒbƒgƒ`ƒ‰ƒV01

 

 

 

 

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諸葛亮孔明に心酔する孟獲(もうかく)

 

 

 

孟獲(もうかく)を七度捕まえ、七度放した

 

 

諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)に、

 

 

 

孟獲はカリスマオーラを感じ

 

 

 

孟獲(もうかく)

 

 

 

あんた神様のような人だぁ!!二度と叛きません

 

 

 

 

と誓います。

 

さて、これにより背後の心配が消えた孔明ですが、

 

 

 

曹丕

 

 

 

最大の敵であった曹丕(そうひ)は前年から風邪をこじらし、

 

 

 

曹丕

 

 

あっさり死にました。

 

 

 

アディオス曹丕、演義ではヤラレキャラでドンマイ!

 

 

 

 

 

曹叡

 

 

曹丕の後を継いだ曹叡(そうえい)は、聡明な人物でしたが、

 

 

司馬懿(しばい)と曹丕がマブダチだった程には

 

 

 

司馬懿との仲は良くありませんでした。

 

 

司馬懿を失脚させるために馬謖が動く

 

 

孔明と馬謖

 

 

 

孔明のお気入りの馬謖(ばしょく)は、

 

 

この際、司馬懿が曹叡の皇帝即位をdisっていた

 

 

デマを流して失脚させるのが吉でしょう。

 

 

 

と進言したので司馬懿の才能を恐れる孔明は、

 

 

魏の領内で司馬懿が曹叡をdisったとデマを流します。

 

 

 

 

これを真に受けた曹叡は、司馬懿を左遷します。

 

司馬懿と孔明

 

 

 

馬謖、ナイスアシスト!!

 

 

 

思わぬクリティカルHITで気を良くした孔明ですが、

 

 

遠征にあたり最大の気がかりがありました。

 

 

 

それが、劉備の後を継いだ劉禅(りゅうぜん)でした。

 

 

 

 

劉禅

 

 

 

 

まだ17歳で、お世辞にもおつむの出来が良くない劉禅は、

 

 

私が都から離れている間に、よりボンクラにならないだろうか?

 

 

 

 

孔明の決意・出師(すいし)の表

 

 

 

孔明

 

 

孔明はそう考えて出師(すいし)の表(ひょう)を提出しました。

 

 

 

 

出師の表には、何が書いてあるかと言うと・・

 

 

 

劉禅

 

 

 

①いかに今、蜀が危ない状況かを力説して劉禅を怯えさせ

 

 

 

趙雲

 

 

 

②でも、頼りになる家臣を先帝(劉備)が残してくれたから心配ないと安心させ

 

 

 

楊儀

 

 

③孔明がチョイスした留守番の家臣を頼りにして言う事を聞けと釘を刺し

 

 

孔明

 

 

 

④最後は孔明と劉備の君臣のメモリーで結んでいる内容です。

 

 

 

孔明

 

 

 

そこで孔明は涙ながらに、ニート(農夫)だった自分を信じ

 

 

軍師にしてくれた劉備(りゅうび)の恩義に応え、

 

 

 

命を賭けても魏を滅ぼすと誓います。

 

 

 

 

この出師の表で、全蜀が泣いたと言われています。

 

 

 

 

北伐を開始する

 

 

 

趙雲

 

 

 

西暦228年春、孔明は大軍を擁して、

 

 

趙雲(ちょううん)と鄧芝(とうし)を先陣に

 

 

秦嶺山脈を越えます。

 

 

 

魏延 

 

 

 

途中で魏延(ぎえん)が、、

 

私に精鋭5000を与えてくれれば長安を落して見せる。

 

自信満々で発言をします。

 

 

 

魏延と孔明

 

 

しかし安全策を取る孔明は、魏延の進言をポイして

 

 

遠回りのルートを進む事にします。

 

 

 

 

 

 

魏延

 

 

 

プライドが高い魏延は内心ブチ切れ・・

 

 

(孔明の臆病者めが・・)と孔明を侮るようになります。

 

 

孔明はまず、南安、安定、天水の3つの城を陥落させ、

 

 

長安にプレッシャーを掛けます。

 

 

優秀な人材を得る孔明

 

 

そして、孔明はここで思わぬ掘り出し物を得ます。

 

 

姜維

 

 

 

天水の豪族、姜維伯約(きょうい・はくやく)です。

 

姜維こそ、私の兵法を全て伝授するに足る器だ!!

 

 

 

孔明と姜維

 

 

 

そう考えた孔明は、ありとあらゆる卑劣な策略を弄して、

 

 

姜維を蜀に降らざるを得ないようにして配下にしてしまいます。

 

 

あきらめろ姜維!

 

 

孔明は狙ったらしつこいぞ(笑)

 

 

 

孔明は第一次北伐にあたり、長安と洛陽の二か所を一気に襲う

 

計画を立てていました。

 

しかし、手持ちの兵力だけでは無理なので、

 

荊州の新城にいる魏将 孟達(もうたつ)に目をつけます。

 

実は孟達は、元は蜀の武将でしたが、

 

関羽(かんう)が呉に攻められた時に、劉封(りゅうほう)と共に

 

関羽の救援要請を無視していました。

 

その後、劉備に殺される事を恐れて魏へ逃亡して、

 

曹丕のお気に入りとなっていたのです。

 

 

 

孟達

 

 

 

ところが曹丕が亡くなった今は、頼るべき相手もなく

 

 

いつか邪魔になり殺されるのではと恐れていました。

 

 

そこで孔明は、孟達に洛陽を攻めてもらい、

 

上手く行ったら過去の罪は忘れて重く使おうと

 

寝返りを勧めてきたのです。

 

孟達は乗り気でしたが、ここで番狂わせが発生します。

 

 

 

司馬懿

 

 

左遷されていた司馬懿が孟達の裏切りを察知し

 

驚異的なスピードで兵を動かし、新城の孟達を包囲して、

 

 

司馬懿 孟達

 

 

 

これを殺してしまったのです。

 

 

アディオス孟達、、あんたと過ごした日々、悪くなかったぜ!

 

 

 

曹叡は、あわや、孟達に洛陽を襲われる所を司馬懿が救ったので

 

その行為を高く評価し、司馬懿を北伐担当の総指揮官に任じます。

 

 

こうして馬謖の努力は水の泡、、

 

 

 

 

司馬懿と孔明

 

 

孔明と司馬懿は宿命のライバルとして対峙するのです。

 

 

司馬懿が前線に復帰したと聞いた孔明は、

 

 

即座に馬謖を街亭(がいてい)に派遣する事を決意します。

 

 

ここは、背後の涼州と長安、そして漢中に続く拠点で、

 

 

魏に抑えられると長安を攻め落とすのが難しくなります。

 

 

山に登りたがる孔明の愛弟子

 

 馬謖

 

孔明は馬謖に

 

街亭についたら麓に陣を置いて魏軍の攻撃に備えよ

 

くれぐれも山頂に陣を敷くなよ

 

わかっているな?敷くなよ!

 

ぜ・っ・た・い・に敷くなよ!

 

 

ダチョウ倶楽部ばりに念を押しました。

 

 

 

 

 

 

 

馬謖はイエッサー!!

 

 

 

と言って出陣しますが、

 

 

孔明はやはり心配で後から魏延を援軍に送ります。

 

 

そしてあろうことか馬謖は副官王平(おうへい)の

 

 

 

「ダメです、山頂には布陣してはいけません」を無視

 

 

馬謖

 

 

 

見晴らしを重視して山頂に陣取ってしまいます。

 

それを見た魏軍の張郃(ちょうこう)は、

 

 

 

張郃

 

 

ぷーっと笑い、麓を包囲して水を絶てと命令します。

 

 

水を断たれた馬謖軍は総崩れになり、ピンチを知った

 

魏延が駆け付けて馬謖は辛うじて救われますが、

 

街亭は魏軍の手に落ちてしまいます。

 

司馬懿-546x546

 

 

張郃から街亭陥落の報告を受けた司馬懿は笑い、

 

即座に孔明を追撃しようと全軍を動かします。

 

 

孔明

 

 

孔明は、使者がもってきた馬謖の布陣図を見て青ざめ

 

すでに馬謖が敗れた事を悟ります。

 

司馬懿の追撃を予測した孔明ですが、兵力は少なく、

 

とても対抗できそうにありませんでした。

 

孔明は一計を案じ、西城県の小さな城に入ると、

 

兵を伏せて、旗指物も取り外し、城門を開け放ちます。

 

そして自身は城壁に上り、童子二人を配置して、

 

優雅に琴を弾き始めました。

 

そこに司馬懿の10万の大軍がやってきますが、

 

司馬懿は

 

慎重な孔明が、いちかばちかの賭けをする筈はない

 

 

これには必ず罠があると恐れ兵を引き揚げてしまいました。

 

 

司馬懿と孔明-546x546

 

 

 

実は孔明には何も策は無かったのですが、

 

司馬懿は孔明の性格を深読みしてしまったのです。

 

 

 

孔明-546x546

 

 

これを空城(くうじょう)の計と言います。

 

 

 

 

泣いて馬謖を斬る

 

 

命拾いして漢中に引き揚げた孔明ですが、

 

その代償は大きいものでした。

 

 

馬謖と孔明2

 

 

孔明は敗戦の切っ掛けを造った愛弟子の馬謖を引き出し、

 

その首を斬り落としてケジメをつけました。

 

 

馬謖と孔明

 

 

これを、泣いて馬謖を斬ると言います。

 

 

孔明は首だけになった馬謖を見て泣き崩れたと言います。

 

 

成都に戻った孔明は、馬謖に重職を任せた責任を取り、

 

孔明-546x546

 

 

丞相の身分から3ランク階級を落とす事を願い出て右将軍になります。

 

 

陸遜

 

 

 

同じ頃、呉の陸遜(りくそん)が淮南まで兵を進め、

 

 

 

曹休

 

 

魏の曹休(そうきゅう)を撃破しました。

 

 

これを石亭の戦いと言います。

 

 

2度目の北伐を開始

 孔明-546x546

 

 

その大敗で魏の蜀に備える防備が弱まると読んだ孔明は、

 

2度目の北伐軍を起こします。

 

30万の軍勢を率いて祁山を越えた蜀軍は、

 

小さな城である陳倉城を包囲します。

 

しかし、この城は郝昭(かくしょう)という名将が守っていました。

 

いくら攻めても城が落ちないので、孔明は郝昭の友人を呼び出して

 

降伏するように説得しますが失敗します。

 

 

孔明

 

 

孔明は、長いハシゴを持つ雲梯(うんてい)車や、

 

城壁を砕くドリルである衝車(しょうしゃ)、

 

それに大きな櫓まで組みますが、

 

ことごとく失敗、、さらに地下に穴を掘っても、

 

城の中から土を放り込まれて失敗します。

 

 

そのまま20日以上が経過し、食糧が乏しくなった孔明は、

 

 

 

孔明

 

 

やむなく撤退を決意しました。

 

第二次北伐は、郝昭一人の為に失敗に終わったのです。

 

 

 

三国時代の幕が上がる

 

 

孫権-546x546

 

 

西暦229年、三国でまだ皇帝を名乗っていなかった

 

孫権(そんけん)が皇帝に即位しました。

 

 

 

袁術-546x546

 

 

厳密な三国時代は、この年から始まります。

 

蜀では、漢王朝以外は認めておらず、呉と断交するか、

 

孫権の即位を認めて同盟を維持するかで意見が割れますが、

 

魏一国でも大変なのに、呉まで敵に回す事は無いという

 

孔明の意見が通りました。

 

こうして、蜀は魏王朝の正当性は認めないという立場を取りながら

 

呉王朝は認めるという奇妙なスタンスを取る事になります。

 

さて、陳倉では苦い敗北を喫した孔明ですが、第三次北伐では、

 

一兵も損なわずに武都と陰平の二郡を攻略、その手柄で、

 

丞相に復帰します。

 

 

 

姜維

 

 

しかし、この時も兵糧不足がたたり、途中で撤退する

 

しかありませんでした。

 

西暦229年、五虎将軍の最後の生き残り、

 

イケメン武将の趙雲(ちょううん)が病死、、

 

 

趙雲

 

 

長い間お疲れ! 趙雲!

 

 

それに加えて五虎将軍、張飛(ちょうひ)の忘れ形見の

 

張苞(ちょうほう)までが、

 

第三次北伐で受けた傷が元で若くして病死します。

 

 

 

北伐を継続するのが難しい理由

 

 

どんどん人材が減っていく蜀が北伐を継続するのは、

 

尚更困難になっていきました。

 

 

 

それに加えて、毎度、孔明の足を引っ張るのは、

 

 

山

 

 

食糧補給のとぼしさ、蜀軍は攻める側であり険しい秦嶺山脈の

 

桟道を大きな荷車を押して移動しなければならず、

 

動きは遅く、そして行軍には時間的な制約があったのです。

 

 

司馬懿も、蜀軍の食料の乏しいのを見越してからは、

 

自分からは攻めずひたすら持久戦に持ち込んで、

 

度々、勝利を得ていました。

 

そこで孔明は食糧調達を現地に頼る事に切り替え、

 

春の麦の刈り取り時期を狙って隴西(ろうせい)に進軍しようとします。

 

 

孔明と司馬懿-546x546

 

 

これは糧食は敵から奪えと説いた孫子の兵法にも合致します。

 

祁山に進出した孔明は、春を待って、祁山に留守番を残し、

 

自らは姜維と魏延を伴い、

 

隴西の鹵(ろ)城へと極秘に麦を刈り取りに出かけます。

 

しかし、これは司馬懿に察知されていました。

 

隠密行軍に司馬懿が気付いた事を知った孔明は驚きますが、

 

その為の奇策は用意していました。

 

孔明は、姜維と魏延を先に行かせると、自らはわざと

 

ノロノロ行軍し司馬懿に追いつかれます。

 

しかし、ここで孔明は、自分と同じ背格好の人間を3人用意して、

 

同じ車に乗せ、同じ衣装を着せて、北斗七星の旗を掲げて

 

それぞれが交互に森の中に出たり入ったりして

 

司馬懿の軍勢を混乱させます。

 

 

タネが分らない司馬懿は、孔明が北に消えたと思えば、

 

南から出てくるので、ワープでもしているのかと混乱し、

 

偽物の孔明を追いまわして時間を取られてしまうのです。

 

これを縮地(しゅくち)の法と言います。

 

司馬懿は、ようやく、騙された事に気がつくと、

 

それならば麦打ちをしている魏延と姜維を襲えばいいと、

 

鹵城へ急行します。

 

司馬懿と魏延-546x546

 

 

しかし、そこには、馬岱(ばたい)、魏延、姜維が伏兵していて、

 

焦っていた司馬懿は蹴散らされ、まんまと麦は孔明に

 

奪われてしまいました。

 

司馬懿「ええい!くそっ!こうなれば持久戦だ、

 

亀になって孔明が撤退するのを待つ!」

 

土壇場では冷静さを失わない司馬懿は、再び引きこもり、

 

蜀軍の挑発にも乗らなくなります。

 

今度ばかりは、兵糧不足で撤退するわけにはいかない孔明も、

 

粘り我慢比べが続きますが、ここで孔明に後方の食料担当官の

 

李厳(りげん)から衝撃の情報がもたらされます。

 

 

 

孔明大ピンチ

 

 

陸遜-546x546

 

 

魏と呉が秘密同盟を結んで蜀を攻めようとしている

 

と言うのです。

 

話を聞いた孔明は真っ青になりました。

 

デマかも知れないとも考えましたが、もしそれが本当なら、

 

ガラ空きの成都が呉に落とされてしまいます。

 

悩んだ挙句、孔明は安全策を取り、止むなく撤退します。

 

この時、魏の張郃は、撤退する蜀軍に攻撃を仕掛けて逆襲にあい、

 

膝に受けた矢傷が元で病死します。

 

アディオス、張郃

 

曹操、曹丕、曹叡まで仕えた、あんたの忠義忘れないぜ!!

 

 

漢中まで撤退した孔明を待っていたのは、

 

劉禅から派遣された費禕(ひい)でした。

 

 

費禕は前線から孔明が司馬懿と同盟を結び、

 

 

蜀に謀反を起こそうとしているという上奏を受け

 

 

孔明に真偽をただす為に劉禅に派遣されたと言います。

 

 

孔明-546x546

 

 

孔明は激しく激怒して、弾劾を出した人間を調べるとそれは李厳でした。

 

李厳は自分の怠慢で食糧補給が遅れ、北伐が失敗した事の

 

罪を逃れようと、孔明に魏と呉が同盟したとデマを流し、

 

 

一方で成都には、孔明と司馬懿が結んで蜀に反逆したと

 

 

嘘の弾劾をしたのです。

 

 

 

孔明は大激怒し、劉禅に上奏して李厳を弾劾し、

 

官職を剥いで庶民に落としてしまいました。

 

こうして味方の裏切りという最悪の形で第四次北伐は

 

失敗に終わってしまうのです。

 

第四次北伐の失敗後、孔明は、数年間を国力の回復にあてます。

 

そして、その間に、木牛(もくぎゅう)と流馬(りゅうば)という

 

食糧輸送の運搬具を制作するのです。

 

これらは現在の一輪車や大八車のような形状で、牛や馬を使わず

 

兵士が自分の食料は自分で運べるようにしたものです。

 

従来の北伐では、家畜に与える飼料が物資を増大させ、

 

同時に戦争に牛を徴用された蜀の農民は農業に困難を来たしましたが

 

それも、この発明で解消されました。

 

 

 

呉と連動して魏を落とす作戦

 

 

 

孔明-546x546

 

 

さらに孔明は、呉に使いを出して、共同で魏を攻めるように、

 

申し入れを行います。

 

孫権は、申し出を受けますが、その時に使者に、

 

 

孫権と魏延

 

 

魏延は勇猛だが自分勝手な男だ、孔明殿が

 

生きている間はいいが、死ねば謀反を起こすだろうから

 

今の内に考えた方がいいと告げます。

 

孔明は、使者からその話を聞くと

 

 

孔明

 

 

孫権殿は、よく分かっておられるが、人材が不足している蜀では、

 

わがまま魏延でも、使わないわけにはいかない、と溜息をつきました。

 

かくして孔明は、西暦234年、第五次北伐の軍を起こし

 

 

山

 

 

10万の軍勢で、秦嶺山脈を越え、祁山に向かって進軍しました。

 

南で孫権、西から孔明の北伐を受けた曹叡は慌てます。

 

しかし、司馬懿は落ち着き払っていました。

 

司馬懿-546x546

 

 

天文を見ますに、魏は有利で蜀は不利です。

 

にも関わらず、孔明は出陣してきました。

 

これは自殺行為、きっと生きては帰れません

 

 

こうして曹叡を安心させると、自らは軍を率いて

 

長安から出発しました。

 

 

 

 

司馬懿と孔明の心理戦

 

孔明

 

 

司馬懿と孔明は、祁山で対峙します。

 

 

司馬懿は当初、鄭文(ていぶん)という男を偽装降伏させますが、

 

 

あっさりと孔明に見破られました。

 

 

それ以後は、いつものように司馬懿は亀になり持久戦を開始します。

 

 

しかし、今度の蜀軍は簡単には引きません、

 

 

木牛・流馬で輸送力が高くなっている上に、孔明は兵士の一部を

 

 

農民に混ぜて畑を耕させる屯田(とんでん)制を敷いていました。

 

 

南で合肥を攻めている孫権と呼応しながら、

 

 

孔明は司馬懿が、痺れを切らすのを待ちます。

 

 

司馬懿が孫権の動向を気にしている事を見抜いて、

 

 

孔明は罠を仕掛けます。

 

上方谷という場所に偽物の食料貯蔵庫を作り、

 

中には、火薬を満載して積み上げておきます。

 

そして、部下の高翔(こうしょう)に命じて、木牛と流馬で

 

毎日、その食糧庫に食糧を備蓄しているように見せ掛けました。

 

司馬懿は密偵の情報でそれを知ると、

 

全軍を祁山に向かって攻めさせ、自身は別働隊を率いて、

 

上方谷の食料貯蔵庫を焼き払いに行きます。

 

司馬懿が上方谷に向かうと、魏延の部隊が慌てふためいたように、

 

食糧貯蔵庫に駆けこんでいきます。

 

司馬懿の軍勢は食糧貯蔵庫に駆けこみますが、魏延の姿はありません。

 

オカシイと気づくのと同時に、伏兵していた馬岱の部隊が、

 

火矢を雨あられと射かけてきて、辺りは炎に包まれました。

 

司馬懿はこれで最後と観念し、従軍していた

 

 

司馬懿

 

 

息子の司馬師、司馬昭と抱き合って、涙を流しますが、

 

その時、奇跡が起こります。

 

晴れていた空が急に黒雲に覆われ、土砂降りの雨が降り出し、

 

炎を消してしまったのです。

 

 

司馬懿親子は、馬岱の追撃も間にあわず、

 

逃げ去ってしまいました。

 

馬岱から司馬懿を討ち漏らしたという報告を受けると

 

孔明は、しばらく天を仰いで絶句し呟きました。

 

 

 

事を謀るに人にあり、 事を成すに天にあり

 

 

 

どれだけ知略を尽くして謀りごとを仕掛けても、

 

司馬懿は天運に守られていて、自分には殺す事は出来ないと

 

孔明は悟ったのです。

 

孫権

 

 

その頃、孫権は、ついに合肥を攻略できず撤退していました。

 

二正面作戦が崩壊した孔明は、持久戦を短期決戦に切り替え、

 

五丈原(ごじょうげん)に陣を移します。

 

司馬懿は再び、亀になりました。

 

一度、死ぬ目にあったのです、どんな挑発にも応じません。

 

孔明は司馬懿を罵倒し、女物の服まで贈り、

 

「Are you chicken?」

 

お前は腰ぬけか?と挑発しますが、それでも司馬懿は

 

涼しい顔をして受け流しました。

 

 

司馬懿

 

 

三十六計、逃げるに如かずと言います。

 

どんな計略も相手が乗らない限り意味がありません。

 

孔明は、この頃、仕事の多忙と北伐の重圧から健康を害していました。

 

孔明

 

 

蜀の使者から、それとなく孔明の健康状態を聞きだした司馬懿は、

 

孔明の最期が近い事を確信します。

 

 

 

諸葛亮孔明、ついに五丈原に堕つ・・

 

 

 

ほどなくして、孔明は執務中に血を吐き倒れます。

 

もはや、自らの寿命が残り少ない事を悟った孔明は、

 

残された力を振り絞り、陣中を見回ると、

 

今後の事を細々と取り決めて、死の床につきました。

 

孔明

 

 

そして西暦234年、8月23日、孔明は54歳で死去します。

 

劉備の漢王朝再興の夢を受け継ぎ、全てを投げ打って

 

主君の望みを叶えようとした偉大な男の最期です。

 

 

司馬懿

 

 

天文により、巨星が蜀の陣地に落ちた事を知った司馬懿は、

 

孔明の死を直感します。

 

そして、蜀を滅ぼすのは今しかないと、ゆっくりと退却してゆく

 

蜀軍に追いすがります。

 

しかし、蜀軍の最後尾を目の当たりにした司馬懿は驚きました。

 

 

そこには、死んだ筈の孔明が白羽扇を持ち、涼しい表情を

 

浮かべながら、車に乗っていたのです。

 

 

孔明と司馬懿

 

 

司馬懿は、あわてふためき我先に逃げて行きました。

 

 

 

 

タネ明かしをすれば、それは孔明ソックリに掘り上げた

 

 

・・・・・・・・・・・

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

 

・・・

 

 

・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孔明

 

 

 

木彫りの人形でした。

 

 

 

司馬懿は、孔明に痛めつけられて、すっかりその知略を恐れ

 

よく確かめもせずに逃げ去ってしまったのです。

 

 

 

 

後世の人は、死せる孔明、生ける仲達を走らす

 

 

 

後々まで孔明を讃えました。

 

 

魏延

 

 

孔明の死後、予想通り、

 

 

魏延は、魏との戦いを継続すると主張して、

 

 

 

謀反を匂わせます。

 

 

魏延

 

 

馬岱は孔明から生前に受けた計略で魏延に付いて監視し、

 

姜維や楊儀(ようぎ)は、孔明の遺言に従い成都に帰還を開始します。

 

 

 

魏延と対立をする楊儀(ようぎ)

 

 

 

魏延

 

 

それに怒った魏延は桟道を焼き払いますが、

 

姜維は別のルートを見つけて漢中へと戻っていきます。

 

 

孔明

 

 

 

魏延には、多くの将兵が従わずに脱落していき、

 

兵を集めようと南鄭に下がろうとしていた途中に、

 

孔明より策を受けていた馬岱に背後から斬り殺されました。

 

 

魏延-546x637

 

 

ここで影の五虎将軍、魏延DEAD!有能だったけど

 

孔明と合わなかった事が災いしたね!!

 

 

劉禅

 

 

 

成都に無言の帰還を果たした孔明に、

 

 

劉禅は天は私を見捨てたと泣き崩れ、

 

兵士は足を踏み鳴らして哀悼の意を捧げ、庶民は嘆き悲しみ、

 

蜀は孔明の死を悲しむ、人々の鳴き声で包まれます。

 

孔明により処罰され、遠ざけられた人々も、

 

その死を悼み、第四次北伐で足を引っ張った李厳は、

 

これで二度と政治の世界に戻れないと知り、

 

悲嘆のあまり、間もなく病死します。

 

アディオス李厳、、もう少し性格が真面目なら、

 

北伐の失敗も無かったのに残念だな・・

 

あまりに大きな蜀の巨星の死は、後の蜀の急速な没落を

 

暗示しているように映りました。

 

姜維と王平

 

 

多くの悲しみを飲みこんで、それでも三国志は続いていきます。

 

 

 

『ざっくりとわかる三国志』(3)まとめ

 

曹休

 

■曹丕ドロップアウト

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■孔明の決意

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■北伐について

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■泣いて馬謖を斬る

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『ざっくりとわかる三国志』(4)に続きます。

 

乞うご期待!

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この記事を書いた人

 

三国志ライターkawauso

 

 

ライター:

kawauso

 

自己紹介:

三度の飯の次位に歴史が大好き

10歳の頃に横山光輝「三国志」を読んで衝撃を受け
まずは中国歴史オタクになる。
以来、日本史、世界史、中東、欧州など
世界中の歴史に興味を持ち、
時代の幅も紀元前から20世紀までと広い。
最近は故郷沖縄の歴史に中毒中、、

 

好きな歴史人物:

西郷隆盛

勝海舟

劉邦

韓信

 

何か一言:

歴史は現在進行形、常に最新のジャンルです。

 

 

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