当サイトをご覧の方の中には、
まだ三国志についてほとんど知らないという方
もいらっしゃるかと思います。
そこで今回、
『三国志』ってどんな話なんだろう?
という方のために、おおまかに理解するためのまとめを作ってみました。
名づけて
『ざっくりとわかる三国志』です。
今回はその前編、王朝末期の混乱の中から、
劉備(りゅうび)
曹操(そうそう)
孫堅(そんけん)
といった英雄たちが現れ、
三国志の時代の基礎を作りあげるまでを紹介します。
なお、このまとめは『三国志演義』(史実をもとに制作された小説版)に準拠しています。
歴史上の事実と、
フィクションである『三国志演義』では細部にいろいろな違いがあるのですが、
まずはストーリーとして有名な『三国志演義』の概要をざっくりと知った上で、
興味を持った部分から細かいところを攻めていく、
というのが
『三国志』を知る
良い方法ではないでしょうか?
それでは、
ざっくりと行ってみましょーう!!!
黄巾賊(こうきんぞく)の乱から三国志は始まる |
時は西暦180年頃。
当時、中国は約200年にわたって続いた後漢(ごかん)王朝の末期にありました。
王宮では宦官(かんがん)と呼ばれる役人が好き勝手をやり、政治は乱れ、民衆は苦しんでいました。
腐敗した国に対して農民が怒り爆発 |
太平道(たいへいどう)と呼ばれる新興宗教の指導者、
張角(ちょうかく)は武装化した信者たちを率いて大乱を引き起こします。
彼らは黄色い頭巾を目印として身につけたことから
『黄巾賊』(こうきんぞく)と呼ばれていたんだ。
黄巾賊の大乱は、さらなる混乱を国に巻き込んでいきます。
朝廷はヤバイと判断し反乱鎮圧を武将に命じる |
朝廷は皇甫嵩(こうほすう)や盧植(ろしょく)、董卓(とうたく)、そして曹操(そうそう)などの武将に反乱鎮圧を命じました。
民衆の中からも、黄巾賊討伐に立ち上がったものたちがいました。
そう、その者達が
劉備(りゅうび)・関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)。
3人は楼桑村(ろうそうそん)で義兄弟の約束を交わし、
『生まれた日は違っても共に同じ日に死のう』
と誓いをたてます。
これが三国志の有名な逸話の1つでもある
桃園の誓い(とうえんのちかい)
3人は劉備の師匠である盧植(ろしょく)を頼り、
反乱討伐軍に参加します。
黄巾賊の乱を平定したが、混乱は更に続く。 |
反乱鎮圧軍によって黄巾賊の乱は平定されましたが、
国の混乱はそれで収まるどころか、さらに大きくなっていきます。
西の辺境、涼州(りょうしゅう)で反乱が起こり、
反乱を指揮した韓遂(かんすい)と馬騰(ばとう)が涼州を制圧してしまいます。
朝廷は孫堅(そんけん)に涼州討伐を命じ、
孫堅は見事にこの責務を果たして、南方の地、長沙の長官職を命じられます。
その頃、劉備は何をしていたの? |
一方、劉備は黄巾賊討伐の功績で県の長官となっていましたが、
都から見回りに来た役人にワイロを要求されて
腹を立てた張飛がこれをいためつける(笑)
という事が起こってしまいます。
やむなく劉備は、関羽、張飛と共に職を捨て、再び放浪の身となります。
悪名高い武将・董卓(とうたく)の台頭 |
先の皇帝、霊帝(れいてい)が崩御(ほうぎょ)。
まず何進(かしん)という将軍がまだ幼い皇帝の子である劉弁(りゅうべん)を新たに皇帝の地位につけ、
少帝(しょうてい)としますが、このことによって宮廷は混乱し、
何進は殺されてしまいます
この混乱に乗じたのが、黄巾賊討伐軍の一角であった武将は
董卓(とうたく)でした。
董卓の恐怖政治が始まる |
董卓は都、洛陽(らくよう)の宮廷に乗り込むと少帝から
皇帝の地位を奪うことを宣言(笑)
これに盧植(ろしょく)や丁原(ていげん)といった人物が反対すると、
董卓は、丁原配下の最強の猛将、呂布(りょふ)を勧誘。
董卓:ねぇねぇ、呂布くん
董卓:うちにきたらYOUを大将軍にしてあげるよ
董卓:今ならメチャクチャ早いお馬ちゃんも
オマケしてあげるから、うちの軍においでよ★
呂布: ウン、すぐ行く!(即答)
呂布に丁原(ていげん)を殺害させ、盧植(ろしょく)を引退に追い込みます
董卓は最強ボディーガードの呂布を手に入れました
董卓は新たに陳留王(ちんりゅうおう)の劉協(りゅうきょう)を皇帝に即位させ、献帝(けんてい)としました。
曹操(そうそう)は董卓の暗殺を企むが |
曹操は董卓の暗殺を企てますが
失敗し、逃亡。(スタコラサッサ!!)
その後5000の兵を集めて挙兵します。(めげない曹操エラい!)
反董卓連合軍結成、しかし……。 |
西暦190年
有力者であった袁紹(えんしょう)をリーダーとして、
曹操や孫堅といった武将たちが
反董卓の連合軍を結成します。
まさにオールスター並の豪華メンバー
華雄(かゆう)と言う豪傑を関羽が倒す |
劉備もこの連合軍に参加し、
関羽は董卓軍の武将、華雄(かゆう)を打ち取り功績をあげます。
危険を感じた董卓は洛陽に火を放ち、
西にある長安(ちょうあん)に都を移します。
袁紹に進言を聞き入られなかった曹操は
単独で董卓配下の徐栄(じょえい)率いる軍勢を攻めますが大敗してしまいます。
反董卓連合は上手く機能せず崩壊 |
その後も、反董卓連合軍では内輪もめが続き、
翌年には曹操や孫堅が離脱、連合軍は解散してしまいます。
袁紹は北方にある冀州(きしゅう)を押さえていた韓馥(かんふく)を陥れて同州を手中とし、
勢力を拡大させていきます。
董卓暗殺、北方では袁紹と曹操の対立が激化 |
宮中の役人であった王允(おういん)が、
義理の娘である中国四大美女のひとり貂蝉 (ちょうせん)を利用して
董卓配下にあった呂布をそそのかし、
董卓暗殺に成功します
しかし、呂布は董卓配下であった李傕(りかく)と郭汜(かくし)の軍勢に破れて敗走、
王允は処刑されてしまいます。
曹操は黄巾賊の残党を討伐し出世する |
黄巾賊の残党を討伐した功績が認められた曹操は
新たに兗州(えんしゅう)と青州(せいしゅう)の長官となり、
冀州を手中にしていた袁紹との対立が深まります。
父、曹嵩(そうすう)が徐州を治めていた陶謙(とうけん)の配下の兵士に殺された曹操は徐州に攻め込みますが、
留守をしている間に兗州を呂布に占拠されてしまいます。
引き返した曹操が呂布と睨み合う一方、
徐州では陶謙が病死し、劉備がその跡を継ぎます。
呂布は劉備に頼る |
董卓亡き後、その配下であった李傕と郭汜は献帝を奪い合って争うことになります。
献帝は超庵を脱出し、楊奉(ようほう)がこれを護衛しました。
楊奉は献帝の後を追ってきた李傕と郭汜の軍と戦いますが敗北、
献帝は北方へ逃亡します。
曹操は呂布を三度の戦いで破り、
兗州で飢饉が起こるとその期に乗じて兗州を奪い返しします。
曹操に敗れた呂布は逃亡して徐州の劉備を頼り
劉備はこれを受け入れます。
南方では袁術が後漢王朝の弱体化に乗じて自ら帝位につくことを企みます。
袁術:「ワシは皆の期待に応えて皇帝になる!!」
(かなりの勘違い発言)
もちろん、勝手に皇帝になることを許せず、劉備がその討伐に当たることになります。
劉備は呂布に裏切られる |
劉備は袁術討伐に向かいますが、戦いの末に破れ、
しかも留守していた徐州を
呂布に裏切られ奪い取られてしまいます(笑)
呂布は主(あるじ)の
丁原 → 董卓 を裏切り
更に、自分を守ってくれた
劉備まで裏切ってしまいます。
城を失った劉備は曹操を頼り、
新たに豫州(よしゅう)の長官に任命されます。
皇帝が洛陽でショボーンとしている所を曹操が保護 |
献帝が洛陽でショボーンと彷徨っていることを知った曹操は、
軍師である荀彧(じゅんいく)の
保護の勧めを受け
献帝を迎え入れます。
曹操は献帝を擁護する立場となり、
大将軍に任命されます。
曹操、大出世!
一方、南方では、孫堅(そんけん)の息子である孫策(そんさく)が
江東を支配下に置き、
小覇王と呼ばれるようになります。
最強武将・呂布、遂に敗れる |
勝手に皇帝に即位した袁術は、呂布と同盟して劉備を攻撃、
劉備軍は敗北します。
呂布討伐を決意した曹操は
曹操:「呂布うっとしい、そろそろやっちゃおうか★」
討伐軍を編成、呂布軍を追撃して下邳(かひ)城まで追い詰めます。
城に立てこもる構えを見せた呂布に対して曹操は水攻めを行います。
呂布軍は内部に
裏切り者を出して崩壊
呂布は曹操に捕らわれ処刑されました。
アディオス!呂布!
ここに古今無双の武力を持った最強武将
呂布(りょふ)は、
40年に渡る裏切りの人生に終止符を打ちます
呂布、三国志からドロップアウト!
イラストはダンクシュート!
その頃、袁術(えんじゅつ)は袁紹(えんしょう)の息子を頼って
北方へと逃れようとします。
袁術:「ちっきしょー。悔しいよ(涙)」
曹操暗殺計画 |
宮中ではひそかに献帝から命令を受けた董承(とうしょう)が曹操の暗殺計画を企て、
劉備もバッチリそのメンバーに加わります。
袁術討伐を曹操から任じられた劉備はその期に乗じて
曹操の元を離れ、
袁術を滅ぼした後、
曹操を裏切って徐州を再び手中にします。
ここで袁術は三国志からドロップアウト!
曹操、袁紹と雌雄を決する戦いに |
西暦200年。
曹操がブチ切れる出来事が起こる
董承による曹操の暗殺計画が露見し、
董承一族は問答無用で処刑
曹操は劉備討伐の軍を起こし、
敗れた劉備は、北方で公孫瓚(こうそんさん)を滅ぼし勢力を拡大していた袁紹を頼ります。
この時、事情があって劉備の三兄弟の一人
関羽は曹操の軍門に下ります。
念願の関羽を手に入れた曹操、
歓喜!!!!
曹操:「ねーね、関羽君、ワシどー?」
官渡(かんと)の戦い (曹操 対 袁紹) |
曹操は袁紹討伐のため、
白馬(はくば・地名)で袁紹軍と対峙
曹操の配下で元は呂布の臣下だった張遼(ちょうりょう)は関羽と共に、
袁紹軍の2枚看板
文醜・顔良と戦いこれをあっさり打ち倒します。
袁紹配下としてこの戦いの最中にあった劉備は
その場を脱し、南方へと落ち延びました。
劉備の無事を知った関羽は曹操の元を辞して、
劉備との合流を果たします。
その頃、
曹操は袁紹軍の食糧貯蔵庫のあった烏巣(うそう)を襲撃してこれを焼き討ち、
混乱した袁紹軍は官渡(かんと)で曹操軍に大敗を喫してやむなく撤退することになります。
『ざっくりとわかる三国志』(1) |
■黄巾の乱
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『ざっくりとわかる三国志』(2)に続きます。
この記事を書いた人:石川克世 |
ライター:
石川克世
自己紹介:
三国志にハマったのは、高校時代に吉川英治の小説を読んだことがきっかけでした。
最初のうちは蜀(特に関羽雲長)のファンでしたが、次第に曹操孟徳に入れ込むように。
三国志ばかりではなく、春秋戦国時代に興味を持って海音寺潮五郎の小説『孫子』を読んだり、
兵法書(『孫子』や『六韜』)や諸子百家(老荘の思想)などにも無節操に手を出しました。
好きな歴史人物:
曹操孟徳
織田信長
何か一言:
温故知新。
過去を知ることは、個人や国家の別なく、
現在を知り、そして未来を知ることであると思います。
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